兵庫県姫路市に、俳句で有名な松尾芭蕉ゆかりの「芭蕉の蓑塚」と「風羅堂」という旧跡があります。
江戸時代にあった風羅堂には、松尾芭蕉の弟子が受け継いできた、遺品が納められていたといいます。
なぜ姫路に俳句の集まりや句会が行われる、風羅堂があったのか、姫路と松尾芭蕉について調べてみました。
俳句で有名な旧跡「風羅堂」とは

明治時代の姫路ガイド「現代語訳 沿革考証 姫路名勝誌」のなかに、風羅堂の旧跡について、このような記述がありました。
この風羅堂は、芭蕉翁が住んだ京都東山の岡崎にある風羅坊を移したもので、中央に翁(芭蕉)の木像を安置し、左右に惟然坊・千山坊の影像を掲げ、翁の遺物として茶色の木綿縁の蓑(みの)、使用済みの紙を張って柿渋を引いた笠(かさ)、三尺五寸の杖、そのほか袈裟(けさ)・行嚢(こうのう)※1・硯面(けんめん)※2などを納めたとのことである。
「現代語訳 沿革考証 姫路名勝誌」P108より
※1 郵袋(ゆうたい)の旧称。郵便物を入れる袋。
※2 硯(すずり)の墨をする面
風羅堂には、松尾芭蕉の木像と、弟子の影像、松尾芭蕉が使用していた、いくつかの遺品が納められていたとあります。
風羅堂があった池の脇に、翁の蓑塚(みのづか)というものがある。俗に芭蕉塚と称する。
「現代語訳 沿革考証 姫路名勝誌」P108より
また、風羅堂の傍らには、松尾芭蕉が使用していた蓑(みの)の一部を埋めた、芭蕉の蓑塚という、遺碑があると書かれています。
俳句の旧跡「風羅堂」があった場所
風羅堂があった場所は、姫路市街地の北方に位置する、増位山自然公園のあたりにあります。
周辺は、姫路俳諧の史跡とされており、風羅堂跡だけでなく、ゆかりのある俳人の句碑や、墓などが数多くあります。

増位山隋願寺本堂に向かう、ドライブウェーの途中に、俳諧史跡めぐりの案内板がありました。
風羅堂の史跡は、旧風羅堂跡と、移転後の新風羅堂跡があり、どちらも増位山につづく道の途中あたりにあります。
俳句の偉人 松尾芭蕉
松尾芭蕉については、説明するまでもありませんが、江戸時代前期の俳句の偉人です。
松尾芭蕉の主なポイント!
・伊賀国(三重県)出身
・性は松尾、名は宗房、伯船堂・風羅坊・桃青などの別号がある。
・門徒はおよそ2000人に達した。
・1694年、最後は大阪難波で病に伏して亡くなった。享年51歳。
・その時に身に着けた蓑笠は弟子の惟然坊に譲った。
※「現代語訳 沿革考証 姫路名勝誌」より抜粋
松尾芭蕉の弟子
松尾芭蕉の高弟(優れた弟子)のなかに、惟然坊(いぜんぼう)という弟子がいました。
惟然坊は大阪難波で師の芭蕉と別れ、深く悲しみ、その後も師を弔ったといいます。
(惟然坊は)生前に師の翁の遺品を門弟である姫路の千山坊に与えていたので、千山はそれを携えて帰り、菅蓑を神として塚を築き、そのそばに住んだ。
これが風羅堂の起源である。
「現代語訳 沿革考証 姫路名勝誌」P113より
要するに、松尾芭蕉の孫弟子である、姫路の俳人千山坊(せんざんぼう)が、芭蕉の遺品を譲り受けて、姫路に持ち帰り、芭蕉をまつったということです。
松尾芭蕉の蓑塚と風羅堂

その後、千山が持ち帰った遺品の蓑は、傷みが激しくなり、蓑の一部を隋願寺念仏堂の裏山に埋め、その上に碑石を建立(1713年)しました。
これが、芭蕉塚と称する、「芭蕉の蓑塚」だということです。
その後、千山の息子が父の遺志を継いで、芭蕉50回忌(1743年)の際に、蓑塚の傍らに風羅堂を建立しました。
風羅堂の名は、芭蕉の別号「風羅坊」からとった名前で、風羅堂は多くの門人たちが集う俳諧道場になったといいます。
時を経て、芭蕉100回忌(1793年)の際に、千山の子孫たちが、古くなった風羅堂と蓑塚を、現在の場所に再建します。
風羅堂は、播磨俳諧の拠点として受け継がれてきましたが、1874年頃に流行り病のため焼却処分され、現在は蓑塚のみが残っています。
松尾芭蕉ゆかりの遺品

松尾芭蕉が身に着けていた、蓑や笠などの遺品、安置されていた芭蕉像などは、現在、隋願寺念仏堂に所蔵されています。
姫路に俳句の会
風羅堂は、播磨の俳人だけでなく、方々から多くの俳人が集い、俳諧では有名だったといいます。
風羅堂の旧跡付近には、風羅堂の基を築いた千山坊(井上千山)と、その子孫の墓や、ゆかりある俳人の句碑(俳句を記した碑)などが、数多くあります。
増位山隋願寺本堂につづくこの辺りは、なんとなく浮世離れした、別世界のように感じることができます。
芭蕉の世界と、俳句に興味のある方は、増位山の俳諧史跡をめぐってみてはいかがでしょうか。
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