黒田官兵衛が姫路城で普請した野面積みの石垣とは?【逸話】居城を献上し国府山城へ

黒田官兵衛と姫路城

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姫路ゆかりの戦国武将、黒田官兵衛は、自身の居城を秀吉に献上して、近くの国府山城に移り住んだという逸話があります。

現在の姫路城では、戦国時代に黒田官兵衛が普請した野面積みの石垣と、池田輝政が築いた石垣が、並んで見られる場所があるので紹介します。

また、黒田官兵衛がその後に居城としたゆかりの地、妻鹿にある国府山城の史跡に行ってきたので、功山城や妻鹿城とも言われる、国府山城跡をあわせて紹介します。

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黒田官兵衛はどんな人だったのか

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<黒田孝高像> Wikipediaより

黒田官兵衛は、NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」にも描かれた、姫路にゆかりがある、戦国時代の名将です。

実名は、黒田孝高(よしたか)といい、通称、黒田官兵衛(かんべえ)が、世に広く知られています。

この孝高は官兵衛尉と称し、羽柴秀吉に属して世に知られた名将である。

『現代語訳 沿革考証 姫路名勝誌』p38より

黒田官兵衛は、知略や軍事的才能に優れ、後に天下を統一することになる、秀吉の側近として仕えました。

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居城を献上して国府山城に移った逸話

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<秀吉像> Wikipediaより


秀吉に仕えた黒田官兵衛は、秀吉が中国地方に攻め入る際に、自らが城主であった姫路城を、秀吉に献上します。

秀吉は孝高の策を用い、しばらくして御着城・英賀城・三木城を根拠にしようという心積もりであったところ、天正八(1580)年四月八日、孝高は秀吉に勧めて自らの居城である姫路城を根拠とさせ、自らは妻鹿の功山城に退いて居城とした。

『現代語訳 沿革考証 姫路名勝誌』p38より

これにより、秀吉は姫路城の城主となり、姫路城を中国攻めの拠点とします。

戦国時代の姫路城「太閤丸」

姫路城主となった秀吉は、大幅に姫路城の守りを固めます。

 太閤丸

羽柴秀吉は城主であるが姫路に居たのはわずか三年で、その間に置塩城の用材を姫路に移して三層の天守閣を造り、大いに防御を固めた。これを後世、太閤丸という。

『現代語訳 沿革考証 姫路名勝誌』p38より

秀吉が築いた当時の城は、現在では残っていませんが、太閤丸として伝えられており、3階建ての城だったといわれています。

黒田官兵衛が普請した野面積みの石垣

官兵衛普請の石垣
姫路城 下山里の石垣

普請(ふしん)とは
土木・建築工事のこと。
この石垣は秀吉の命を受けて官兵衛が普請したもの。

現在の姫路城は、後に城主となった、池田輝政以降に築城されたものですが、戦国時代の石垣が一部で残っています。

戦国時代の石垣は、積み上げられた石の形状が、不ぞろいになっているのが特徴です。

黒田官兵衛が普請した姫路城の石垣
姫路市資料より

現在では、姫路城における石垣の研究が進み、場所によって築かれた時代が、違うことが分かっています。

戦国時代の石垣は、天守閣の南側の一部と、北側の堀の部分に、見ることができます。

黒田官兵衛の功績

こちらの場所は、手前が戦国時代の石垣、中央の櫓部分が池田輝政時代の石垣、右が明治以降に修理された石垣です。

このように、3つの時代の石垣が、並んで見られる場所は、姫路城の観光で、見逃せないポイントです。

国府山城跡(姫路市)に行ってみた


姫路城を秀吉に献上した官兵衛は、距離にして姫路城の南約5㎞の場所にある、国府山城に移り、自らの居城とします。

姫路城から国府山城までは、離れていますが、さえぎる山がなく、晴れた日には、互いに遠くに見える場所にあります。

国府山城跡

黒田官兵衛が、姫路城を献上したあとに、居城とした国府山城は、現在では史跡として残っています。

姫路市の市川沿いに、国府山城跡の看板があります。

功山城・妻鹿城の石碑

看板のそばにある坂を下りていくと、山の麓に神社があり、国府山城史跡の石碑が立っています。

妻鹿城跡

こちらが、境内の石碑です。国府寺城は、功山城や妻鹿城とも呼ばれます。

自身の居城を献上する策略の凄さ

境内の案内板によると、国府山城は、小規模ながらも優れた城であったと、書かれています。

瀬戸内海を一望できる見晴らしの良い場所は、水運の要所でもあり、築城にあたって良い条件がそろっていたといいます。

黒田官兵衛ゆかりの城

国府山城跡の矢印があったので、その方向に向かって行ってみました。左手の階段を上っていきます。

ゆかりの地

階段を上ったところに、社があります。

残念ながら、その先は工事中で、立ち入り禁止になっていました。現在、林道の整備工事を行っているようでした。

黒田官兵衛ゆかりの地をめぐる

姫路城を見るときに、石垣の違いに注目してみると、築城までの歴史を楽しむことができます。

姫路城では、桃山時代の石垣を見ることができるので、当時の石垣付近から南の方向を眺めて、国府山城跡を探してみるのも、面白いかもしれません。

国府山城跡は、現在工事中になっていますが、国府山城の史跡について、新たな魅力が発掘されるといいなと思います。

※参考文献『現代語訳 沿革考証 姫路名勝誌』