カテゴリー: 歴史と神社仏閣

  • 生石神社(兵庫県)の浮石に行ってみた!【石の宝殿】日本三奇の巨石がすごい

    生石神社(兵庫県)の浮石に行ってみた!【石の宝殿】日本三奇の巨石がすごい

    兵庫県高砂市にある、日本三奇の石の宝殿で有名な、生石神社に行ってきました。

    生石神社は、浮石とも呼ばれる、浮いてるような不思議な巨石が御神体で、周辺の石切り場とあわせて、国の史跡に指定されています。

    裏山には、大正天皇の行幸を記す石柱や、展望台・休憩所があるので、アクセス方法とあわせて、播磨の名勝を紹介します。

    ※生石神社の読み方は「おうしこ」です。

    関連記事 射盾兵主神社(姫路市)に行ってみた!縁結び通りの南鳥居からお参り

    生石神社(兵庫県) 石の宝殿とは

    明治時代の姫路ガイド『現代語訳 沿革考証 姫路名勝誌』のなかで、生石神社について、このような記述がありました。

    山全体から石を多く産出し、石をたたく音が常に絶えず、山の東腹にある石造の殿舎はいわゆる石宝殿で、四勝の一つである。

    『現代語訳 沿革考証 姫路名勝誌』p149より

    播磨四勝といって、観光名所を案内するなかで、石宝殿がそのひとつに、イラスト付きで紹介されていました。

    日本三奇 石の宝殿

    生石神社は、三方が断崖に囲まれて、池の中で浮いたように見える、不思議な巨石が、ご神体としてまつられています。

    このご神体は、日本三奇の一つに数えられ、石の宝殿及び竜山石採石遺跡として、周辺の遺跡とともに、国の史跡に指定されています。

    日本三奇とは
    • 塩釜神社(宮城県)の「塩釜」
    • 霧島山(宮崎県)の「天の逆鉾」
    • 生石神社(兵庫県)の「石の宝殿」

    生石神社のアクセス・最寄り駅


    生石神社は、兵庫県高砂市の中央にある、宝殿山の山腹にあります。国道2号線と250号線の間あたりです。

    最寄り駅は2つで、JR神戸線「宝殿駅」から徒歩約23分、山陽電車「伊保駅」から徒歩約26分の場所にあります。

    住所:兵庫県高砂市阿弥陀町生石171

    生石神社の浮石を見に行ってみた

    生石神社 駐車場

    こちらが、生石神社の駐車場です。神社の南側にある、鳥居のすぐそばに、駐車場があります。

    生石神社(高砂市)

    こちらが、生石神社の南にある鳥居です。ここから坂道を少し登れば、すぐに社殿が見えてきます。

    石が浮いている神社

    境内を歩いて行くと、休憩所があります。この建物は、東側から入る門になっています。

    浮石

    こちらは、東にある鳥居から、休憩所の建物を見たところです。東側からは急な石段を登って、境内に入っていきます。

    巨石で有名な神社

    こちらが、生石神社の社殿です。境内には、石の宝殿の謎について、パネルや映像で展示している、浮石資料館があります。

    必見!日本三奇の不思議な浮石

    生石神社 ご利益

    社殿の入り口には、窓口があるので、その前を通って、奥に見えている、ご神体へと進んでいきます。

    浮いている石

    入るとすぐに「霊岩」と書かれた、大きな岩がありました。この岩は、石の宝殿の分岩だそうです。

    立て札には「全身の力を込めて押すと神様が力を御授けくださる」と、書かれていました。

    日本三大謎

    社殿の奥に進んでいくと、石の宝殿と祠が見えてきます。

    ここからは、大人100円、小人50円の拝観料を納めて、参拝するようになっています。

    浮岩

    社殿をくぐると、正面に石の宝殿が鎮座しています。四角い巨石が、この狭い場所にあるのは、なんとも不思議です。

    巨石の大きさは、幅約6.5m、高さ約5.6m、奥行約5.6mの直方体で、後面に突起があり、岩盤を掘り込んだように見えます。

    兵庫県高砂市の浮いてる石

    石の宝殿のまわりは、ぐるっと一周できるようになっています。崖との間の狭い通路を、進んでいきます。

    浮いてる岩

    巨石の下は池になっており、石と池のあいだには隙間があるので、まるで水面に浮かんでいるように見えます。

    生石神社の構造

    三方を崖に囲まれた場所に、四角い巨石が横たわっているという、古代の人の手で作られた光景は、一見の価値ありだと思いました。

    裏山の展望台には大正天皇が御来臨

    浮石の裏山に登山

    社殿の裏山には、市街地が眺められる、山上公園があるので、登り口から行ってみました。

    竜山石採石遺跡

    岩の斜面が階段状になっていて、少し急な石段を登っていきます。すべりにくい靴を履いていくのがおすすめです。

    宝殿山

    こちらが、社殿の反対側から見た、石の宝殿です。

    ここから見ると、岩盤を掘り込んで、四角い巨石になっているのが、よくわかります。

    大正天皇行幸跡

    裏山を登ったところに、石柱と休憩所があります。石柱には「大正天皇行幸の跡」と書かれていました。

    巨石遺跡 日本

    山上は子供が歩けるくらいの、平らな場所になっており、少し北のほうまで歩いて行けます。

    ここからは、市街地の景色や、崖のようになっている、周辺の石切り場が見渡せます。

    生石神社で歴史の不思議を体感

    生石神社を訪れると、誰が何のために、この不思議な巨石をつくったのか、歴史の謎を体感できます。

    また、この場所は小高い山の上なので、社殿や休憩所からの眺望が良く、軽い登山にも最適です。

    天気の良い日は、不思議な石の宝殿と、景色を楽しみに、生石神社へ出かけてみてはいかがでしょうか。

  • 書写山(姫路市)が最強本物のパワースポットな理由【兵庫】二度選ばれた霊地とは

    書写山(姫路市)が最強本物のパワースポットな理由【兵庫】二度選ばれた霊地とは

    兵庫県姫路市にある、書写山について、信仰の山となった経緯を、調べてみました。

    書写山の山上は、天台宗の寺院が置かれ、霊場めぐりの札所にもなっており、本物のパワースポットとして訪れる人がたくさんいます。

    書写山の自然のなかに、最強のパワーを感じて、この場を信仰の場として選んだ、二人の偉人を紹介します。

    関連記事 書写山圓教寺の歴史・見どころを案内

    書写山は最強本物のパワースポット


    書写山は、兵庫県姫路市の北西部にある、標高371mの山です。山の上には、天台宗の寺院があり、国宝級の建物が並んでいます。

    明治時代の姫路ガイド『現代語訳 沿革考証 姫路名勝誌』のなかに、書写山について記述がありました。

    この場所は、古くから信仰の場であったという、経緯が書いてあったので、書写山の由緒をたどって、まとめてみました。

    書写山に神様を祀った吉備真備

    『現代語訳 沿革考証 姫路名勝誌』によると、書写山から東に約4㎞の距離にある、広峰神社について、このような記載があります。

    この神社は733年(天平5年)3月18日、遣唐留学生の吉備真備が唐から帰国した際に、時の帝であった聖武天皇に奏上して、翌年素盞山の山上に造営したものであるが、それから136年後の清和天皇の御世である869年(貞観11年)の春に至り、王城鎮護のために京都に遷った。現在の衹園神社(八坂神社)がこれである。

    『現代語訳 沿革考証 姫路名勝誌』p61より

    それによると、遣唐使であった吉備真備が、唐から都へ戻る際に、当時の聖武天皇にお願いして、素盞山(現在の書写山)の山上に、神社をつくったとあります。

    Kibi-no-Makibi statue.jpg
    吉備真備像 Wikipediaより

    吉備真備(きびのまきび)とは
    奈良時代の貴族の偉い人・学者。吉備(現在の岡山)の豪族出身。遣唐使として、多くの学問を学び、入唐中に名声を博した。

    吉備真備が書写山に神社をつくって、時が経つこと136年、清和天皇のときに、京都で疫病がはやります。

    その時に、書写山にあった神社は、王城鎮護(天皇の都をまもること)のため、京都に移されました。

    その移った神社が、日本三大祭りで名高い、祇園祭が行われる、京都の八坂神社であるということです。

    書写山に寺院を開いた性空上人

    そしてその後もその跡地には同じ神をまつっていたが、それからまた90年余り後、性空上人が同山に円教寺如意輪堂を営んだので、神仏混淆を嫌い、また6年後、すなわち972年(天禄3年)に、当時白幣山といった現在の広峰山に遷されたのである。

    『現代語訳 沿革考証 姫路名勝誌』p61より

    書写山から京都に、神社が移された後、その跡地では、同じ神様をまつっていました。

    それから時が経ち、性空上人(圓教寺をつくった僧侶)が、書写山に寺院を創建することになります。

    書写山(姫路)のパワースポット

    性空上人は、神様と仏様がいっしょになるのを嫌ったので、書写山にあった神様の信仰を、となりの白幣山(現在の広峰山)に移しました。

    その神社が現在、広峰山の山上にある、広峰神社であるということです。

    書写山の由来

    こちらは、圓教寺境内にある白山権現です。

    白山権現は、性空上人が大講堂、摩尼殿についで第三の吉所としたところで、上人はここで行をつんで心眼を開いたとされます。

    この地には、性空上人が入山する以前より祠があり、それが素戔嗚尊をまつる堂であったことから、この山は「素戔の杣(すさのそま)」と呼ばれていました。

    その後、性空上人が山を登る途中に、仙人のお告げによって、書写山と改めたのが、書写山の名前の由来だということです。

    本物のパワースポット

    性空上人像 姫路市HPより

    性空上人(しょうくうしょうにん)とは
    平安時代中期の天台宗の僧侶。京都生まれ。36歳で出家し修行を重ね、966年、播磨国書写山に圓教寺を創建。享年98歳と伝わる。

    性空上人について「現代語訳 沿革考証 姫路名勝誌」のなかに、このような記述があります。

    智慧は深く徳は高く、その名は全国に聞こえ、時の天皇も大変尊敬された。

    『現代語訳 沿革考証 姫路名勝誌』p72より

    圓教寺は、京都から遠いにもかかわらず、皇族・貴族の信仰があつく、時の天皇や皇后も来臨されています。

    西国三十三所観音霊場の巡礼地

    書写山は、奈良時代と平安時代の二度にわたって、当時のいわゆる偉人によって、信仰の場所として選ばれています。

    書写山の移り変わり

    734年 吉備真備が神社を創祀。

    869年 神社が京都に移る。その後も同じ神様をまつる。

    966年 性空上人が圓教寺を創建。

    972年 神様の信仰は広峰山に移る。

    周辺には、同じような高さの山が数多くあるなか、いずれの場合にも、この地に神威・霊性を感じて選んだと伝わっています。


    性空上人が創建した圓教寺は、今でもなお、西国三十三所観音霊場の巡礼地として、多くの人が訪れます。

    書写山は、山上までロープウェイが敷かれており、姫路で人気の観光スポットになっています。

    近くに来られた際には、本物の霊地として伝わる書写山に、足を運んでみてはいかがでしょうか。

    ※八坂神社の創祀については諸説あります。
    ※本記事は『現代語訳 沿革考証 姫路名勝誌』の内容をもとに作成しました。
    ※記事中の地図は、© OpenStreetMap contributorsを使用しています。

  • 増位山自然公園(姫路市)の風羅堂を調べてみた!【俳句】松尾芭蕉ゆかりの地を紹介

    増位山自然公園(姫路市)の風羅堂を調べてみた!【俳句】松尾芭蕉ゆかりの地を紹介

    兵庫県姫路市の増位山自然公園に、俳句で有名な松尾芭蕉ゆかりの地「芭蕉の蓑塚」と「風羅堂」という旧跡があります。

    江戸時代にあった風羅堂には、松尾芭蕉の弟子が受け継いできた、遺品が納められていたといいます。

    なぜ姫路に俳句の集まりや句会が行われる、風羅堂があったのか、松尾芭蕉と弟子の旧跡について調べてみました。

    姫路の公園ランキングTOP14(大きい順)はこちら

    増位山自然公園(姫路市)の場所


    増位山自然公園は、兵庫県姫路市の中部エリアにある、増位山の一帯に広がる自然公園です。

    増位山隋願寺を中心に多くの史跡があり、梅林やハイキングコースなどで、自然を満喫できるスポットになっています。

    増位山ハイキングコース
    増位の史跡を守る会 案内板より

    風羅堂があった場所は、増位山隋願寺の本堂に向かう、ドライブウェイを入ったあたりです。

    周辺は、姫路俳諧の史跡とされており、風羅堂跡だけでなく、ゆかりのある俳人の句碑や、墓など数多くあります。

    風羅堂の史跡は、旧風羅堂跡と、移転後の新風羅堂跡があり、どちらも増位山につづく道の途中にあります。

    増位山自然公園「風羅堂」とは

    風羅坊(芭蕉)
    1820年頃の風羅堂『現代語訳 沿革考証 姫路名勝誌』P109より

    明治時代の姫路ガイド『現代語訳 沿革考証 姫路名勝誌』のなかに、風羅堂の旧跡について、このような記述がありました。

    この風羅堂は、芭蕉翁が住んだ京都東山の岡崎にある風羅坊を移したもので、中央に翁(芭蕉)の木像を安置し、左右に惟然坊千山坊の影像を掲げ、翁の遺物として茶色の木綿縁の蓑(みの)、使用済みの紙を張って柿渋を引いた笠(かさ)、三尺五寸の杖、そのほか袈裟(けさ)・行嚢(こうのう)※1・硯面(けんめん)※2などを納めたとのことである。

    『現代語訳 沿革考証 姫路名勝誌』P108より

    ※1 郵袋(ゆうたい)の旧称。郵便物を入れる袋。
    ※2 硯(すずり)の墨をする面

    風羅堂には、松尾芭蕉の木像と、弟子の影像、松尾芭蕉が使用していた、いくつかの遺品が納められていたとあります。

    風羅堂があった池の脇に、翁の蓑塚(みのづか)というものがある。俗に芭蕉塚と称する。

    『現代語訳 沿革考証 姫路名勝誌』P108より

    また、風羅堂の傍らには、松尾芭蕉が使用していた蓑(みの)の一部を埋めた、芭蕉の蓑塚という、遺碑があると書かれています。

    松尾芭蕉と姫路のゆかり

    Basho by Morikawa Kyoriku (1656-1715)


    松尾芭蕉については、説明するまでもありませんが、江戸時代前期の俳句の偉人です。

    松尾芭蕉の主なポイント
    • 伊賀国(三重県)出身。
    • 性は松尾、名は宗房、伯船堂・風羅坊・桃青などの別号がある。
    • 門徒はおよそ2000人に達した。
    • 1694年、最後は大阪難波で病に伏して亡くなった。享年51歳。
    • その時に身に着けた蓑笠は弟子の惟然坊に譲った。

    ※「現代語訳 沿革考証 姫路名勝誌」より抜粋

    松尾芭蕉の高弟(優れた弟子)のなかに、惟然坊(いぜんぼう)という弟子がいました。

    惟然坊は大阪難波で師の芭蕉と別れ、深く悲しみ、その後も師を弔ったといいます。

    (惟然坊は)生前に師の翁の遺品を門弟である姫路の千山坊に与えていたので、千山はそれを携えて帰り、菅蓑を神として塚を築き、そのそばに住んだ。

    これが風羅堂の起源である。

    『現代語訳 沿革考証 姫路名勝誌』P113より

    要するに、松尾芭蕉の孫弟子である、姫路の俳人千山坊(せんざんぼう)が、芭蕉の遺品を譲り受けて、姫路に持ち帰り、芭蕉をまつったということです。

    増位山自然公園に残る蓑塚と風羅堂

    松尾芭蕉ゆかりの地
    芭蕉の蓑塚

    その後、千山が持ち帰った遺品の蓑は、傷みが激しくなり、蓑の一部を隋願寺念仏堂の裏山に埋め、その上に碑石を建立(1713年)しました。

    これが、芭蕉塚と称する「芭蕉の蓑塚」だということです。

    その後、千山の息子が父の遺志を継いで、芭蕉50回忌(1743年)の際に、蓑塚の傍らに風羅堂を建立しました。

    風羅堂の名は、芭蕉の別号「風羅坊」からとった名前で、風羅堂は多くの門人たちが集う俳諧道場になったといいます。

    芭蕉
    増位の史跡を守る会 案内板より

    時を経て、芭蕉100回忌(1793年)の際に、千山の子孫たちが、古くなった風羅堂と蓑塚を、現在の場所に再建します。

    風羅堂は、播磨俳諧の拠点として受け継がれてきましたが、1874年頃に流行り病のため焼却処分され、現在は蓑塚のみが残っています。

    松尾芭蕉が身に着けていた、蓑や笠などの遺品、安置されていた芭蕉像などは、現在、隋願寺念仏堂に所蔵されています。

    増位山自然公園で史跡めぐり

    風羅堂は、播磨の俳人だけでなく、方々から多くの俳人が集い、俳諧では有名だったといいます。

    風羅堂の旧跡付近には、風羅堂の基を築いた千山坊(井上千山)と、その子孫の墓や、ゆかりのある俳人の句碑(俳句を記した碑)などが、数多くあります。

    増位山隋願寺の本堂につづく、この辺りは、自然につつまれた山の静けさを、感じることができる場所です。

    天気のいい日は、増位山の自然を感じながら、史跡めぐりに出かけてみてはいかがでしょうか。

    ※本記事は『現代語訳 沿革考証 姫路名勝誌』の内容をもとに作成しました。

  • ミオロッソ書写から姫路を見おろしてみた!展望デッキの景色はどこまで見える?

    ミオロッソ書写から姫路を見おろしてみた!展望デッキの景色はどこまで見える?

    書写山の山上駅付近にあった、展望台のリニューアルで、展望デッキが新設されたので行ってみました。

    展望デッキの愛称は、公募により「ミオロッソ書写」に決定しています。

    書写山には、ミオロッソ書写のほかにも、展望スポットがあるので、景色を散策できる絶景の場所をあわせて紹介します。

    関連記事 書写山圓教寺の歴史・見どころを紹介

    ミオロッソ書写(展望デッキ)の意味

    書写山の展望台

    書写山上展望デッキは、旧展望台の老朽化にともない、新設リニューアルして、2022年3月19日にオープンしました。

    公募により決定された愛称は「ミオロッソ書写」で、姫路平野を見おろそうという、意味が込められています。

    ミオロッソ書写に行ってみた

    長い間、閉鎖になっていた展望台が、新しくなったので、天気の良い日を選んで、行ってみました。

    ミオロッソ書写は、書写山の山上駅を降りて、すぐの場所にあります。

    こちらが、ミオロッソ書写の外観です。黒色を基調にした和風の感じで、落ち着いたつくりになっています。

    多目的トイレ・休憩所

    ミオロッソ書写には、多目的トイレや、休憩所が設置されています。

    自動販売機

    こちらがミオロッソ書写の休憩所です。テーブル・ベンチと、自動販売機が設置されています。

    兵庫県の木材が一部に使用されており、木目調で自然と調和するような雰囲気になっています。

    展望デッキ

    こちらが、デッキから建物を見たところです。

    遠くから眺めても、テラスの木目と黒色の建物が、山の景色になじんでいる感じがします。

    展望台

    こちらが、展望デッキです。空が開けた開放的な空間になっています。

    写真のデッキ左側が、少し飛び出た、踊り場のようになっており、さらに眺望が開けます。

    展望デッキからは、姫路の市街はもちろん、遠く瀬戸内海まで見おろして、広く眺望できます。

    新しくできたミオロッソ書写は、イベントなどの開催で、積極的に活用される予定になっています。

    東坂の展望スポット「紫雲堂展望広場」

    展望スポット

    書写山には他にも、景色の良い展望スポットがあります。

    ミオロッソ書写がある山上駅から、東坂を少し下ったところにあるのが「柴雲堂展望広場」です。

    柴雲堂跡

    こちらが、山上駅から100mほど歩いた場所にある、柴雲堂跡です。

    柴雲堂とは
    創建は不明。東坂上ノ休堂として、参詣者の湯茶の接待所としても、長く愛されてきたお堂であった。昭和三十年代半ば、老朽化したので、建物を取りたたんだ。

    この場所は、書写山開山の伝説の場所で、紫色の雲がたなびいて、性空上人が霊性を感じたと伝わっています。

    柴雲堂展望広場

    こちらが、柴雲堂展望広場です。屋根のついた小さなベンチが設置されています。

    手前の雑木が少し視界をさえぎっていますが、ここからの景色もまた、姫路の市街を眺望できます。

    さらに書写山の東坂には、ここから下った、登山道の中ほどにも、五丁展望所があります。

    展望公園からの景色もおすすめ

    ウォーキングマップより

    書写山の境内には、三つの堂から少し歩いた、松平家墓所、法華堂の近くに、展望公園があります。

    展望公園

    展望公園の中央には、休憩所が設置されています。このあたりは人通りが少なかったので、とても静かでした。

    木々が伸び伸びと育つ季節でしたが、茂みのすきまから、姫路の市街を眺望することができました。

    展望公園には、遠くに見える瀬戸内海の展望図が、設置されています。

    この場所から、瀬戸内海が見渡せた時に見える、島々の位置関係が記されています。

    展望デッキの景色はどこまで見える?

    晴れた日には、書写山の展望スポットから、遠く瀬戸内海の景色まで、見渡すことができます。

    天気が良くて、青空が澄んでいる時は、書写山の展望スポットで、景色を楽しんでみてはいかがでしょうか。

    関連記事 書写山ロープウェイの乗り場・料金を紹介

  • 播磨国総社(姫路市)に行ってみた!【ご利益 歴史】縁結び通りの南鳥居からお参り

    播磨国総社(姫路市)に行ってみた!【ご利益 歴史】縁結び通りの南鳥居からお参り

    姫路駅前から歩いて行ける、播磨国総社(射楯兵主神社)に、縁結びのご利益がある南鳥居から入って、お参りしてきました。

    播磨国総社は歴史が古く、お宮参りや厄払い、結婚式などで年中賑わい、年越しから初詣にかけても人気です。

    明治時代の姫路ガイド『現代語訳 沿革考証 姫路名勝誌』でも紹介されていたので、付録の地図を使いながら、総社の神様と由緒をたどってみました。

    播磨国総社(姫路市)の場所

    住所:兵庫県姫路市総社本町190

    播磨国総社は、姫路城の南東に位置し、姫路駅前から徒歩約15分の場所にあります。

    播磨国総社の正式名称は、射楯兵主神社(いたてひょうずじんじゃ)で、播磨地域では「そうしゃ」と濁らない読み方をします。

    播磨国総社に縁結び通りを通って参拝

    播磨国総社 ご利益

    播磨国総社の南側に面した、国道2号線東行き沿いには「射楯兵主神社」の大きな石柱が見えます。

    姫路 総社

    こちらが、播磨国総社の南鳥居です。本殿まで参道がまっすぐに続いていて、神門が見えます。

    この鳥居は、姫路城主榊原忠次が寄進したものだというので、歴史を感じながら、鳥居をくぐりました。

    姫路 縁結び

    この通りは「ひめじ縁結び通り」と命名されていて、姫路の新名所として、知られるようになっています。

    51個のハート模様が描かれた、縁結びプレートが、足元に埋め込まれています。

    姫路 総社 神様

    こちらが、播磨国総社の南にある、神門になります。

    魔除けや災難除けを願ってくぐる「茅の輪」は、この神門前に設置されます。

    駐車場の付近に車のお祓い所

    駐車場

    こちらが、神門の前にある、参拝者の駐車場付近です。

    播磨国総社では、交通安全祈願で、車のお祓い(ご祈祷)もしてくれます。

    射楯兵主神社 ご利益

    境内の西側に車祓所があり、鳥居の前に車を停めて、受付で手続きをします。

    総社会館

    こちらが、西側から見た、播磨国総社の境内図になります。

    姫路 縁結び 神社

    神門を入ると境内には、手水舎があります。

    手水舎の付近に「撫でみみづく」が設置してありました。みみづくは、播磨国総社のキャラクターにもなっています。

    ご利益(御神徳)

    播磨の国総社

    こちらが、播磨国総社の拝殿になります。この後ろに本殿、裏手には十二社合殿西播磨総神殿東播磨総神殿があります。

    さらに、本殿から奥(東側)のほうには、たくさんの摂末社が、あわせて祀られています。

    摂社(せっしゃ)・末社(まっしゃ)とは
    神社の境内にある小さな社の呼称。本社との由緒が深い神社を摂社、末社はそれ以外のもの。

    境内の摂末社には案内板が設置してあり、スマホでQRコードを読み込むと、神様についての説明が見られるようになっています。

    ご利益(ご神徳)はそれぞれにあるので、参拝する際には、気になる神様を探しながら、散策してみるのがおすすめです。

    播磨国総社に摂末社がある神社

    ・大阪府大阪市の住吉大社
    ・兵庫県西宮市の西宮神社
    ・兵庫県加古川市の日岡神社
    ・静岡県の秋葉山本宮秋葉神社
    ・山形県の出羽神社
    ・兵庫県明石市の柿本神社
    ・栃木県の日光東照宮
    ・香川県の金刀比羅宮
    ・茨城県の鹿島神宮
    ・三重県の伊勢神宮
    ・長野県の戸隠神社
    ・京都府の伏見稲荷大社
    ・三重県鈴鹿市の椿大神社
    ・三重県伊勢市の猿田彦神社
    ・大分県の宇佐神宮
    ・和歌山県和歌山市の淡嶋神社
    ・福岡県の太宰府天満宮
    ・京都府の北野天満宮

    境内案内(播磨国総社公式サイト)より

    播磨国総社(射楯兵主神社)の主祭神

    惣社(射楯兵主神社)は姫路城の旧城内にあり、祭神は大己貴命と五十猛命で、明治維新前までは軍八頭正一位惣社伊和大明神と称し、社領一五〇石があった。

    この伊和大神とは大己貴命の別名で、素戔嗚尊の御子に当たり、中国地方・北陸地方などを開拓なさった神である。またの名を兵主明神ともいう。

    『現代語訳 沿革考証 姫路名勝誌』p46より

    記述によって別名になりますが、大己貴命=伊和大神=兵主明神と、五十猛命=射楯六神が、播磨国総社の御祭神です。

    御祭神
    • 射楯大神(いたてのおおかみ)
    • 兵主大神(ひょうずのおおかみ)

    わが国の三大城の一つに数えられる名高い姫路城は、三〇〇〇年来名前のあるこの姫路丘に築かれたもので、神代にはこの辺り一帯を伊和里と呼んだようである。

    『現代語訳 沿革考証 姫路名勝誌』p25より

    ちなみに、姫路城が建っている、姫路丘の辺り一帯を、神代には伊和里と呼んだようです。

    播磨国総社(射楯兵主神社)の歴史

    564(欽明天皇25)年6月11日、飾磨郡伊和里水尾山に創祀したのを、787(延暦6)年6月11日、国衙荘小野江に遷した。

    また、射楯六神とは大己貴命の兄神である五十猛命のことであり、神功皇后が朝鮮半島から帰陣なされた時に因達里に創祀されたのを、後に小野江の兵主明神社に合祀して射楯兵主神社と称した。

    『延喜式』神名帳に「播磨国飾磨郡射楯兵主神社二座」とあるのはこれである。

    『現代語訳 沿革考証 姫路名勝誌』p47より

    播磨国総社の歴史は、兵主の神を水尾山に祀ったのがはじまりで、そこから小野江という場所に移したとあります。

    後に、因達里で祀っていた、射楯の神と一緒になって「射楯兵主神社」になったということです。

    延喜式神名帳に「射楯兵主神社二座」と記載があり、平安時代には一緒に祀られていたことがわかっています。

    延喜式神名帳とは
    「延喜式」は平安時代中期の927(延長5)年成立の法制書。このうち巻九・巻十では全国の神社を紹介しており、その部分を「神名帳」と呼んでいる。
    文化遺産オンラインより

    射楯兵主神社(姫路)の神様
    小野江の場所 (現在の総社の三丁ほど西北)

    この小野江は現在の惣社の三丁ほど西北で、因達里は現在の東坂本村あたりであったろうかという気がする。

    『現代語訳 沿革考証 姫路名勝誌』p47より

    一丁は約109mなので、地図の赤丸で囲んだところが小野江の場所とあり、そこは現在でいうと、護国神社の北あたりになります。

    また、因達里の場所は、東坂本村あたりとあるので、現在でいうと、書写山東坂参道の麓に推定されています。

    また、水尾山は現在の三軒屋村秩父山の旧称で、『播磨風土記』にある「十四丘」の一つである箕丘のことである。

    『現代語訳 沿革考証 姫路名勝誌』p47より

    兵主の神を祀った場所の、水尾山については、読み仮名に「みのお」と書かれていて、箕丘(みのおか)のことだとあります。

    播磨國総社
    水尾山 (地図に描かれた箕丘)

    水尾山とその付近

    船場にある龍野町三丁目から北に行けば、薬師山の連なった丘である小部山の麓を過ぎて、姫路監獄支所の前に出る。その少し北に小さな丘がある。

    これこそ『播磨国風土記』にいうところの「箕丘」で、後世水尾山と書いた。すなわち、惣社の神である大己貴命がまつられた元の地である。

    『現代語訳 沿革考証 姫路名勝誌』p126より

    現在では開発により無くなっていますが、明治の地図には赤丸で囲んだ場所に「箕丘 (俗称 秩父山)」と表記した、丘が描かれています。

    現在でいうと、姫路市立城西小学校の、南東あたりになりますが、その場所にあった小さな丘が、水尾山だということです。

    なぜ神様はまとめられたのか

    安徳天皇の御世の1181(養和元)年11月15日、播磨全土の一六八社の神社を合祀して軍八頭正一位惣社伊和大明神と称した。

    軍八頭とは、軍事において八百万の神の中でも優れているという意味で、惣社とは、播磨全土の神を統括するとの意味であるという。

    『現代語訳 沿革考証 姫路名勝誌』p48より

    播磨国総社は、播磨にあった大小の神社があわせられて、統括するという意味で「総社」と名付けられました。

    ※公式サイトでは174座の神々を合わせ祀ったとあります。

    播磨の国総社
    水尾山 → 小野江 → 現在の場所

    この惣社が小野江から現在の地に遷ったのは1581(天正9)年のことであるという。

    『現代語訳 沿革考証 姫路名勝誌』p49より

    小野江にあった社殿は、秀吉が天守と城郭を整備するのにあわせて、地図に四角で囲んだ、現在の場所に移転したといいます。

    現在の社殿がある場所は、姫路城中曲輪の内側で、堀に面した南東の角にあたります。

    歴史のポイント

    564年 水尾山に兵主の神を創祀

    787年 小野江に移転

    927年頃までには射楯の神を合祀

    1181年 播磨全土の174座の神々を合祀

    1581年 現在の場所に移転

    姫路にいながら摂社・末社で参拝


    播磨国総社は、姫路城(1609年完成)、書写山圓教寺(966年創建)よりずっと昔から、播磨の地に鎮座する、由緒ある神社です。

    境内には、摂末社があるので、遠くに行かずとも、姫路にいながら、思い込めたい神様に参拝できます。

    年末年始は、射楯大神・兵主大神の御祭神と、播磨の大小神々を合わせて祀る、播磨国総社に、足を運んでみてはいかがでしょうか。

    ※本記事は、明治時代の姫路ガイド『現代語訳 沿革考証 姫路名勝誌』を参考に作成しました。

  • 伊和神社(兵庫県宍粟市)の見どころ3選!【駐車場 アクセス】道の駅でグルメも

    伊和神社(兵庫県宍粟市)の見どころ3選!【駐車場 アクセス】道の駅でグルメも

    兵庫県宍粟市にある、伊和神社の見どころ・お参りポイントを、3つ選んでまとめてみました。

    伊和神社は、播磨の一宮として歴史がある神社で、境内の本殿うしろにある鶴石が、由緒・由来の伝説で有名です。

    車のお祓いもしてくれるので、ご祈祷をしてもらって、交通安全のお守りをつける人も多いです。

    道の駅にある駐車場の場所、バスでのアクセスなどあわせて、伊和神社の見どころを紹介します。

    関連記事 射盾兵主神社(姫路市)に行ってみた!縁結び通りの南鳥居からお参り

    伊和神社(宍粟市)の由緒・ご利益

    伊和神社 ご利益
    案内板より

    伊和神社は、播磨国の一の宮として、古くから信仰されている、格式の高い神社です。

    伊和神社の御祭神

    主祭神
    大己貴神 (おおなむちのかみ)

    配祀
    少彦名神 (すくなひこなのかみ)
    下照姫神 (したてるひめのかみ)

    一宮 (いちのみや)とは、神社の社格を示す格式のひとつで、日本の各地域を国と呼んでいた時代に、その地域で最も格式の高い神社を表しました。

    伊和神社の歴史は古く、一説では、西暦144年の創祀と伝えられています。

    ご利益 (御神徳)
    ・農業、工業、商業など産業の神
    ・縁結びの神
    ・福の神
    ・病気平癒の神
    ・交通安全の神
    ※伊和神社御由緒略記より

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    伊和神社の場所とアクセス

    住所:兵庫県宍粟市一宮町須行名407

    伊和神社は、兵庫県の中西部に位置する、宍粟(しそう)市にあります。

    兵庫県播磨地方と鳥取県因幡地方を結ぶ、因幡街道(現在の国道29号線)沿いにあり、姫路と鳥取のほぼ真ん中あたりに位置します。

    伊和神社 アクセス

    伊和神社の前にはバス停があり、神姫バスの山崎(バス停)から、路線バスが利用できます。

    姫路駅から伊和神社までバスで行くには、姫路駅(北口)から、山崎(宍粟市)行きに乗り、一の宮伊和神社まで乗り継ぐことになります。

    神姫バスナビで時刻・路線を確認する方法

    伊和神社の駐車場

    伊和神社の駐車場マップ

    伊和神社は、南北に通る国道29号線沿いに境内があり、大きな樹木が立ち並ぶなかに、社殿があります。

    国道29号線を挟んで「道の駅」があるので、そちらの駐車場と、反対側にある西参道の駐車場が利用できます。

    道の駅・伊和神社の駐車場

    こちらが国道沿いの道の駅にある、伊和神社駐車場です。

    この駐車場を入って、奥に進んだ場所に第2駐車場、北側には臨時の駐車場があります。

    参拝者駐車場

    こちらが西参道の入口にある、伊和神社の駐車場です。

    伊和神社に参拝される方は、こちら側の駐車場が利用できます。

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    伊和神社に表参道から行ってみた

    播磨一宮伊和神社
    案内板より

    伊和神社の境内に入って行くには、四方に参道があり、表参道と西参道には、随神門があります。

    今回は、メインの表参道から入って、境内の見どころを巡ってみました。

    伊和神社の写真

    こちらが国道沿いにある、伊和神社の表参道の入口です。

    国道29号線は、車の通りが多いので、気を付けながら横断歩道を渡って、参道へ入って行きます。

    宍粟市伊和神社

    こちらが表参道の鳥居です。

    伊和神社の境内には、杉の木など大きな樹木が、たくさん立ち並んでいるので、森の中を抜けていく感じです。

    兵庫県 伊和神社

    こちらが表参道の随神門です。門を通って進んで行きます。

    門の手前には、マスク着用の注意書きがありました。

    車のお祓い(ご祈祷)もしてくれる

    伊和神社 車 お祓い

    伊和神社では、車のご祈祷もしてくれます。

    この場所から車を乗り入れ、拝殿の前に車を停めて、社務所で手続きをします。

    伊和神社の龍神

    拝殿の手前には、手水舎があります。龍の口から水が流れ出るようになっていました。

    伊和神社の見どころポイント3選

    兵庫県 神社 格式

    見どころ・お参りポイント ① 拝殿

    入ってすぐ正面に、神社の拝殿があります。拝殿の奥には幣殿、その奥に本殿があります。

    車のご祈祷をする方が、ここに車を停めて、社務所で受け付けをしていました。

    兵庫県 一宮神社

    拝殿の横隅には「おみくじ」がありました。

    100円を入れて、小さく折りたたんだ、紅白のおみくじを、取り出すようになっています。

    兵庫県 一の宮神社

    社務所の横には、伊和神社の御神木となる、大杉があります。

    伊和神社の境内には、目通り回り3m以上の大杉が、84本確認されています。(昭和44年調査)

    神社本殿

    見どころ・お参りポイント ② 鶴石

    本殿のうしろには「鶴石」があります。鶴石は降臨石ともいわれ、伊和神社の起源と伝わっています。

    鶴石伝説とは
    昔、大神 伊和恒郷の夢に「我れを祀れ」とのご神託があり、おどろいて見てみると、一夜のうちに杉や桧が生い茂り、空に多くの鶴が舞っていた。
    その中の大きな二羽の白鶴が、石の上に北向きに眠っていたので、その場所に社殿を造営したと伝えられている。

    その石を「鶴石」といい、伊和神社の社殿が北向きなのは、鶴石伝説が由来だと言われています。

    伊和神社の鶴石

    本殿の裏にまわるように進んで行くと、鶴石と書いた立て札があり、矢印の方向に向かって進んでいきます。

    伊和神社の鶴石

    こちらが本殿うしろにある「鶴石」です。石の格子に囲まれていて、近づいて見られます。

    伊和神社の社殿に、鶴の像があるのも、鶴石伝説が起源と伝わっているためです。

    いわじんじゃ

    見どころ・お参りポイント ③ 弁天さま

    鶴石からぐるりと社殿をまわって、西参道に向かうと、市杵島姫神社があります。通称、弁天さまです。

    御祭神:市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)

    市杵島姫命とは
    天照大神の姫神様で、辨天様とも申し、才色秀で給いし神様であります。古来、福の神、水の神、芸能の神と崇め、清明正直の心を持つものの上に、加護を垂れ給い「願掛け」をして、御霊験あらたかなる神様であります。※案内板より

    西参道の随神門

    べんてんさま参道の矢印に進み、階段を下りて行くと、西参道の随神門があります。

    門を通って進んで行くと、市杵島姫神社の鳥居が見えてきます。

    伊和神社 お守り

    こちらが弁天さまの鳥居です。市杵島姫神社は池に囲まれているので、ここが出入口になります。

    鳥居をくぐって進んで行くと、池の真ん中に、弁天さまの祠があります。

    道の駅でランチ・特産グルメ

    宍粟市一宮町 ランチ

    伊和神社の隣には、国道を挟んで「道の駅 播磨いちのみや」があります。

    トイレや休憩所、特産品売場、食事処などがあり、国道29号線沿いで、人気の道の駅になっています。

    伊和神社 道の駅

    道の駅には、地元の旬が楽しめる「おふくろ食堂」があります。

    季節の野菜とお肉を炊き込んだ「おふくろ飯」の定食など、素朴で嬉しいメニューがそろっています。

    宍粟市 有名な場所

    同じ敷地内には、農産物直売所「食彩館 伊和の里」があります。とれたての新鮮な野菜や、地元の農産物がそろっています。

    お弁当・惣菜なども販売しているので、地元グルメでランチを楽しんだり、美味しい食べ物を買って帰れます。

    伊和神社のお守りがおすすめ

    伊和神社の拝殿横にある社務所には、お守りもあります。

    伊和神社への参拝と、美味しい地元の特産グルメで、伊和参りを楽しんでみてはいかがでしょうか。

    ※記事中の地図は、© OpenStreetMap contributorsより作成

  • 書写山圓教寺の見どころ&歴史エピソードを紹介!観光の所要時間と楽しい回り方

    書写山圓教寺の見どころ&歴史エピソードを紹介!観光の所要時間と楽しい回り方

    兵庫県姫路市にある、書写山圓教寺の見どころ・魅力について、歴史のエピソードや建物を中心に、ポイントをまとめてみました。

    書写山圓教寺は、映画ラストサムライのロケ地として有名で、御朱印集めや観光に、人気のスポットになっています。

    ロープウェイのアクセスとあわせて、犬を連れて観光した所要時間、楽しい回り方を紹介します。

    ※書写山圓教寺の読み方は「えんぎょうじ」です。書写山円教寺とも表記されますが、以下、圓教寺で統一しています。

    書写山圓教寺とはどんなところ?


    書写山圓教寺は、兵庫県姫路市にある、天台宗のお寺です。

    姫路市北西部にある、書写山の山上一帯が境内になっており、建物・お堂が広がっています。

    書写山の回り方
    案内板より

    書写山の山上までは、ロープウェイが敷かれており、西国三十三所観音霊場の札所で、御朱印がもらえるなど、姫路で人気の観光スポットになっています。

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    書写山圓教寺の歴史と名前の由来

    書写山の由来と歴史
    性空上人の木像 姫路市HPより

    書写山圓教寺は、966(康保3)年に、性空上人が開いたお寺です。

    書写山と呼ばれる名前の由来は、それ以前は、素戔(そさ)山と称していましたが、性空上人が山を登る途中に、仙人のお告げによって、書写山と改めたといいます。

    性空上人とは
    平安時代中期の天台宗の僧侶。京都生まれ。36歳で出家し修行を重ね、966年、播磨国書写山に圓教寺を創建。享年98歳と伝わる。

    性空上人について、明治時代の姫路ガイド『現代語訳 沿革考証 姫路名勝誌』のなかに、このような記述があります。

    智慧は深く徳は高く、その名は全国に聞こえ、時の天皇も大変尊敬された。

    『現代語訳 沿革考証 姫路名勝誌』p72より

    書写山圓教寺は、京都から遠いにもかかわらず、皇族・貴族の信仰があつく、時の天皇や皇后も御来臨されています。

    関連記事 書写山(姫路市)が最強本物のパワースポットな理由

    書写山圓教寺の歴史エピソード

    Hyakuninisshu 056.jpg
    小倉百人一首 Wikipediaより

    歴史の魅力 ① 百人一首で有名な和泉式部が来た

    書写山圓教寺には、性空上人と同じ時代に生きた、百人一首で有名な和泉式部が、京都から訪問しています。

    和泉式部とは
    平安時代中期の女流歌人。勅撰集に多数の歌が選ばれ、平安中期最高の歌人ともいわれる。作品に「和泉式部集」「和泉式部日記」など。

    その時のエピソードが、明治時代の姫路ガイド『現代語訳 沿革考証 姫路名勝誌』に、記述されています。

    一条天皇の皇后・上東門院は和泉式部ら六人を従えて来山なされた。上人はこれを避けてお会いにならなかったので、式部が

    暗きより 暗き道にぞ 入りぬべき 遙かに照らせ 山の端の月

    と歌を詠むとついに面会され、上東門院は喜びのあまりに ~

    『現代語訳 沿革考証 姫路名勝誌』p72より

    この時に和泉式部が詠んだ歌は、勅撰「拾遺和歌集」に収録されており、書写山圓教寺の境内には、歌塚塔があります。

    Kuniyoshi Utagawa, Heroes of china and Japan 3.jpg
    江戸時代の浮世絵 Wikipediaより

    歴史の魅力 ② 怪力で有名な弁慶さんの伝説

    強い者の象徴として描かれる、弁慶さんが、一時、書写山圓教寺に身を置いたといわれており、エピソードが残っています。

    武蔵坊弁慶とは
    平安時代末・鎌倉時代の天台宗の僧兵。源義経に仕えた、怪力無双の荒法師として知られる、伝説の人物。強い者や豪傑の代名詞として広く用いられる。

    書写山の見どころ

    写真にある2つの石は、護法石という名称で、別名「弁慶のお手玉石」と呼ばれています。

    弁慶さんは、この大きな石で、お手玉をしたといわれています。

    書写山圓教寺には、この他にも、弁慶さんのエピソードが残っていますが、だいぶ盛った感じなのが、魅力的です。

    Toyotomi hideyoshi.jpg
    <豊臣秀吉像> Wikipediaより

    歴史の魅力 ③ 戦国時代には中国攻めの拠点に

    書写山は、秀吉が信長の命で、中国攻めする際に、拠点となっています。

    天正六(1578)年の羽柴秀吉による播磨攻めの際に、その年の三月六日に本陣をこの山に定めてから数ヶ月間で全山は急速に衰退したが、八月二十三日に播磨攻めが一段落ついて元通りとなり、二十四日、東坂本村に五〇〇石を授かった。

    『現代語訳 沿革考証 姫路名勝誌』p73より

    その後、徳川幕府の時代になって、八三三石を賜ったということです。

    書写山圓教寺
    本多家の墓所

    歴史の魅力 ④ 姫路城主がお墓を建てる由緒あるお寺

    池田輝政が姫路城を建てたあと、江戸時代には、池田、本多、松平、榊原、酒井の5家が、入れ替わりで姫路藩を治めました。

    書写山圓教寺にはそのうち、本多家、松平家、榊原家の墓所があり、いくつもの姫路城主のお墓があります。


    歴史の魅力 ⑤ ラストサムライのロケ地

    書写山圓教寺は、ハリウッド映画「ラストサムライ」のロケ地になったことで有名です。

    トム・クルーズや渡辺謙が出演する、ハリウッド映画が、姫路で撮影されたということで、大きな話題になりました。

    書写山圓教寺 ラストサムライ

    書写山圓教寺では、ラストサムライの他にも、関ケ原、本能寺ホテルなどの映画撮影や、テレビ番組の収録が行われています。

    書写駅乗り場の壁面には、出演者のサイン色紙が、飾ってあります。

    書写山圓教寺の見どころポイント

    書写山圓教寺ガイド

    書写山圓教寺の境内には、数多くの建物・仏像などの重要文化財があり、全体が歴史ミュージアムのようになっています。

    どの施設も魅力的ですが、メインとなるのは、中央赤丸で示した「摩尼殿」と、その西に四角で示した「三つの堂」です。

    圓教寺

    見どころポイント ① 摩尼殿

    摩尼殿(まにでん)は、書写山圓教寺の観音信仰の中心となるお堂です。西国三十三所観音霊場の第二十七番札所になります。

    西国三十三所観音霊場とは
    近畿地方を中心とした、観音信仰の霊場33カ所の総称。これらの霊場をめぐる巡礼は、日本で最も歴史のある巡礼路となる。全ての観音様を参拝すると、現世で犯したあらゆる罪業が消滅し、極楽往生できるといわれている。

    西国三十三所観音巡礼は、文化庁の「日本遺産」に認定されています。

    1300年つづく日本の終活の旅〜西国三十三所観音巡礼(文化庁)

    書写山の回り方

    見どころポイント ② 三つの堂 (大講堂・食堂・常行堂)

    大講堂・食堂・常行堂の、3つの堂は「三之堂」と称され、修行道場としての書写山圓教寺の中心です。

    建物がコの字型に配置されており、中央が広場になっています。写真右の大講堂が、書写山圓教寺の本堂になります。

    所要時間(滞在時間)

    見どころポイント ③ 開山堂と力士の伝説

    三つの堂の西には、開山堂があります。開山堂は、性空上人をまつったお堂で、等身大の木像が納められています。

    軒下の四隅に、力士の彫刻がありますが、北西の隅にいた力士は、重さに耐えかねて逃げ出したという伝説があります。

    書写山の観光スポット

    見どころポイント ④ 仁王門

    書写山圓教寺につづく、東坂の参道を進むと、仁王門があります。ここからが書写山圓教寺の聖域とされます。

    正門となる仁王門は、両側に仁王像が立っており、あいだを通って境内に入っていきます。

    仁王とは
    寺門の左右にあって、外敵を払う守護神。金剛力士ともいう。口を開けた阿形(あぎょう)と、閉じた吽形(うんぎょう)が一対となる。

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    書写山圓教寺を観光してみた

    書写山円教寺

    書写山ロープウェイは、犬と一緒に乗ることができるので、散歩に出かけてみました。

    わんこ

    わーい!今日は、書写山で散歩だー!

    書寫山 圓教寺 shoshazan engyoji

    犬と一緒にロープウェイに乗るには、ケージに入れる必要があります。

    山麓の乗り場「書写駅」に事務所があり、ケージを貸し出しているので、ここでケージを借りました。

    関連記事 書写山ロープウェイの乗り場・料金を紹介

    書写山 犬

    こちらが借りたケージです。レンタル料金は、300円でした。

    書写山 圓教寺

    ケージは、いくつかのサイズが用意されているそうです。

    事務所では、ペットに合わせたケージを、貸し出してくれます。いずれも料金は同じです。

    わんこ

    入るかな~くんくん。

    書寫山 圓教寺

    こちらがケージに入れたところです。小型犬に合ったサイズを用意してくれました。

    わんこ

    少しのしんぼうだワン!

    こちらがロープウェイのゴンドラです。黄色と緑色の2台のゴンドラが、交互に行き来しています。

    書写山 ラストサムライ

    ゴンドラの中には「かかし」が座っていました。

    ここから北に行った、奥播磨地域は「かかしの里」として、町おこしをしており、集落のいたるところで「かかし」が見られます。

    わんこ

    かかしさんと記念写真してみた!

    書写山円教寺について

    こちらが、ゴンドラから、下をみた風景です。

    乗車中は、ガイドさんが見どころを紹介してくれます。

    姫路 書写山圓教寺
    わんこ

    書写山の景色がキレイだな~

    円教寺 姫路

    山上駅に近づいてきました。ロープウェイに乗っているのは、約4分です。

    窓から外を見ていると、あっという間ですが、山上の空中散歩を楽しめます。

    書寫山

    こちらが山上駅になります。降りたところで、犬をケージから出して、係の人に預けます。

    ケージは、山上駅で預けておいて、帰る時にまた、同じケージに入れて、ロープウェイを下ります。

    書写山 標高

    こちらの山上駅は、リニューアルする整備計画があり、姫路市において予算が計上されています。

    【追記】リニューアル完了
    新しい展望台「ミオロッソ書写」

    ここからは、遠くに臨海地域の煙突が見えるので、天気の良い日は瀬戸内海まで見渡せます。

    書写山 撮影

    ロープウェイの山上駅は、東坂参道の途中にあり、ここからは、山道を歩いて行きます。

    ここからの境内に行く道は、とてもきれいに手入れされていました。

    入場料(料金)

    この先、東坂参道を進んで入山するには、志納金(中高生以下はフリー)が必要になります。

    書写山 犬連れ

    東坂の参道には、西国三十三霊場それぞれの観音菩薩像が置かれています。

    ロープウェイの山上駅から中央にある摩尼殿までは、約20分の山道を歩く道のりです。

    わんこ

    今日はエチケットウェアを付けているので安心

    書写山について

    摩尼殿につきました。

    階段の手前には、お茶屋さんがあるので、紫黒米の甘酒と、焼餅をいただきながら、少し休憩しました。

    わんこ

    お茶屋さんでゆっくり休憩
    (*^-^*)

    兵庫県 書写山

    書写山の山上は、お寺の建物などが立ち並んでおり、西の比叡山とも呼ばれたりします。

    書写山 犬

    境内は四季折々の風景を楽しむことができるので、姫路の観光スポットとしても人気になっています。

    わんこ

    書写山たのし~、次はどこかな
    (^O^)/

    圓教寺 姫路

    三つの堂につきました。ここは映画の撮影などで、よく使われる場所です。

    各お堂には、案内板が設置してあったので、ゆっくり読みながら、2時間くらいの所要時間で、歩いて散策しました。

    由来や歴史を知ると、より一層、書写山を楽しむことができるなと思いました。

    わんこ

    大講堂を背景に記念撮影してみた!また来たいな~

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    書写山圓教寺を世界遺産と比較

    書写山圓教寺を、有名な世界遺産の年代と、比較してみました。

    天守(連立天守群・国宝)
    姫路城<Wikipediaより

    ■姫路城(日本)
    池田輝政が姫路城を建てたのが、1600年からなので、書写山圓教寺の歴史は、姫路城の2.5倍以上も、長いということになります。

    Horyu-ji National Treasure World heritage 国宝・世界遺産法隆寺85.JPG
    法隆寺<Wikipediaより

    ■法隆寺(日本)
    聖徳太子ゆかりの法隆寺は、創建が607年で、世界最古の木造建築物になります。書写山圓教寺が創建された350年ほど前にできています。

    Mont-Saint-Michel vu du ciel.jpg
    モンサンミッシェル<Wikipediaより

    ■モンサンミッシェル(フランス)
    モンサンミッシェルの起源は7世紀で、966年、湾の小島に修道院ができました。年代的には書写山圓教寺と重なります。

    Sagrada Familia 02.jpg
    サクラダファミリア<Wikipediaより

    ■サクラダファミリア(スペイン)
    1882年に着工した、建築家ガウディが手掛けた教会です。いまだに未完成で、完成は100年後ともいわれています。

    Angkor Wat.jpg
    アンコールワット<Wikipediaより

    ■アンコールワット(カンボジア)
    12世紀前半に創建されたヒンズー教の寺院です。16世紀後半に仏教寺院に改修されています。

    タージ・マハルタージ・マハルの位置(アーグラ)
    タージマハール<Wikipediaより

    ■タージマハール(インド)
    ムガール帝国の皇帝が、愛妃のために建設した、総大理石の墓廟です。1632年着工、1653年竣工とされるので、姫路城と同じぐらいの年代です。

    80 - Machu Picchu - Juin 2009 - edit.jpg
    マチュピチュ<Wikipediaより

    ■マチュピチュ(ペルー)
    南米ペルーの標高2430mにある、15世紀までつづいた、インカ帝国の遺跡です。書写山の標高は371mです。

    書写山観光におすすめの回り方

    はづき茶屋でランチ

    書写山圓教寺には、平安時代から千年以上も続く、歴史の魅力があり、境内には建物・仏像など、見どころがたくさんあります。

    施設はそれぞれ、案内板で説明してあるので、少し立ち止まって、歴史の意味合いを発見しながら、散策してみるのがおすすめです。

    境内には一服できる、お茶屋さんもあります。

    天気の良い日は、書写山圓教寺の観光に、出かけてみてはいかがでしょうか。

    ※参考文献『現代語訳 沿革考証 姫路名勝誌』

  • 書写山ロープウェイ乗り場で料金をチェック!【姫路駅⇔山麓駅】バスのセット券も

    書写山ロープウェイ乗り場で料金をチェック!【姫路駅⇔山麓駅】バスのセット券も

    姫路で人気のお出かけスポット、書写山ロープウェイについて、運行時間・料金(運賃)などを、まとめてみました。

    姫路駅から山麓駅(乗り場)までは、バスのお得な割引セット券があるので、場所とあわせて紹介します。

    関連記事 書写山圓教寺の歴史・見どころを案内

    運行時間・料金(大人・子供)

    時刻表

    書写山ロープウェイは、兵庫県姫路市にある、書写山の麓と山上を結ぶ、ロープウェイです。

    山上一帯には、天台宗の名刹があり、ロープウェイに乗ると、東坂参道の途中まで、たどり着くことができます。

    ロープウェイは年間を通して、始発が午前8時30分から運行しており、60分に4本、15分毎の定時にゴンドラが発車します。

    料金

    ロープウェイの料金は、大人が往復1000円片道600円です。小人は、その半額になっています。

    乗り場

    ロープウェイの乗車券は、乗り場の券売機で購入できます。

    券売機は、クレジットカードや電子マネーが使えて、日本語のほかにも、言語が選択できます。

    姫路駅からバスのセット券で割引

    割引セット券の販売所

    姫路駅からバスで山麓駅に向かうには「書写山ロープウェイ行き」の路線バスが出ています。

    姫路駅で乗車、姫路城、好古園を経由して、ロープウェイのバス停が終点になっています。

    神姫バスの姫路駅前案内所では、バスの往復乗車券と、ロープウェイがセットになった、お得なチケットが販売されています。

    >神姫バス お得な乗車券

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    山麓駅(乗り場)の場所と住所

    住所:兵庫県姫路市書写1199番地の2

    書写山ロープウェイは、山の南東の麓に乗り場があり、麓の駅から山上の駅まで、一直線に続いています。

    乗り場は、高速道路「姫路東IC~白鳥PA」の間にあたる、高架下付近にあります。

    カーナビ目的地設定の注意
    書写山ロープウェイを目的地に設定すると、高速道路上に設定されてしまう場合があるので、隣接している『書写の里・美術工芸館』に設定するのがおすすめです。

    コインロッカーで荷物預かり

    山麓駅

    券売機の近くには、コインロッカーが用意されています。

    山上駅から境内まで、ゆっくり見て回るのに、所要時間は約2時間が目安なので、大きな荷物はコインロッカーでの保管がおすすめです。

    昔のゴンドラと移り変わり

    1958年の開業以来、ロープウェイのゴンドラは進化しており、2018年に、現在の視界が広いタイプにリニューアルしています。

    書写山は今も昔も、山の景色を楽しみながら、自然の中を散策できる、姫路で人気の観光スポットです。

    書写山ロープウェイに乗ると、標高371mの山頂付近まで、気軽に散歩に出かけられます。

    天気の良い日は、書写山ロープウェイに乗って、書写山の観光に出かけてみてはいかがでしょうか。

    関連記事 展望台「ミオロッソ書写」から姫路を見おろしてみた

  • 高岳神社(姫路市)に金運の伝説!急速に金持ちになった女性が拾ったものとは

    高岳神社(姫路市)に金運の伝説!急速に金持ちになった女性が拾ったものとは

    兵庫県姫路市にある、高岳神社に行ってみたので紹介します。

    高岳神社は、境内に大きな蛤岩があり、毎年秋祭りが開催される、由緒ある神社です。

    高岳神社には、村人が金持ちになったという、金運の言い伝えがあるというので、調べてみました。

    関連記事 射盾兵主神社(姫路市)に行ってみた!縁結び通りの南鳥居からお参り

    高岳神社(姫路市)に金運の伝説

    明治時代の姫路ガイド『現代語訳 沿革考証 姫路名勝誌』のなかに、高岳神社について、このような記述がありました。

    社殿の上方の高くて険しいところに大きな岩があり、これがいわゆる蛤岩で、昔田井村のある貧しい女性がこの岩の上にある水溜りで黒白二個の蛤を拾い、急速に裕福になったという話が言い伝えられている。

    『現代語訳 沿革考証 姫路名勝誌』p57より

    高岳神社では、蛤(はまぐり)を拾った村の女性が、急速に金持ちになったという話が、言い伝えられているといいます。

    金運伝説の由緒碑

    こちらは、高岳神社の由緒碑です。蛤の言い伝えは、ここにも記載されており「岩上にて蛤を拾い福徳長寿の幸を得し…」と書いてあります。

    高岳神社は二十四社のなかでも名高い神社である。

    祭神が仲哀天皇・応神天皇・崇道天皇・事代主神・猿田彦神の五座であることから、五社明神とも称する。

    『現代語訳 沿革考証 姫路名勝誌』p56より

    高岳神社は、姫路市内でも名高い神社として紹介されており、由緒が古いとされる延喜式社で、国内屈指の古社になります。

    参考

    延喜式神名帳
    「延喜式」は平安時代中期の927(延長5)年成立の法制書。このうち巻九・巻十では全国の神社を紹介しており、その部分を「神名帳」と呼んでいる。
    文化遺産オンラインより

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    高岳神社のアクセス・最寄り駅


    高岳神社は、姫路市街地の北西に位置する、振袖山(別名:蛤山)の南端にあります。姫路駅からは、車で約15分です。

    JR姫新線「播磨高岡駅」が最寄り駅となり、駅から徒歩10分ほどで行けます。

    住所:姫路市西今宿8-5-8

    高岳神社の蛤岩に行ってみた

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    伝説となる場所の蛤岩を見るために、神社の東にある鳥居から入って、高岳神社に行ってきました。

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    こちらが田寺今在家線から見える、高岳神社の看板です。マックスバリュ西今宿店の近くにあります。

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    境内に入ってすぐ右手には、高岳神社の社務所があります。足元が砂利になっている参道を、歩いて入っていきます。

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    砂利道を通り抜けると、広い石段があるので、上っていきます。石段の登り口には、小さな社がありました。

    駐車場は西参道入口から入る

    高岳神社の駐車場

    こちらが石段を登りきったところです。広場になっています。

    参拝者専用駐車場の看板があったので、反対側の西参道からは、ここまで車で入って来られるようです。

    姫路市 高岳神社

    石垣の上に拝殿が見えるので、向かって右側から歩いていきます。どちらからでも登れます。

    高岳神社 歴史

    少し急な石段の上に、拝殿が見えてきます。ここには手すりが付いているので、上り下りに安心です。

    蛤岩

    石段を上りきると、大きな岩が見えてきました。ここが蛤岩の南側になります。

    高岳神社の拝殿

    こちらが高岳神社の拝殿です。この奥が本殿になっています。

    お守り絵馬

    拝殿のとなりに休憩所があります。たくさんの絵馬が飾ってありました。

    高岳神社で軽い登山

    休憩所の向かいに、蛤岩の頂上に向かう入口があるので、ここから上がっていきます。

    蛤岩の頂上付近

    進んでいくと、すぐに蛤岩の頂上が見えてきます。

    ここは岩肌を登っていく感じなので、滑りにくい靴を履いていくのがおすすめです。

    金運神社

    蛤岩の頂上付近に着きました。岩の近くまで行けますが、門があるので、そこからは立ち入り禁止になっています。

    金運伝説の場所

    ふたつコブの形をした、岩の頂上部分が、石の鳥居で祀られています。

    蛤岩由緒碑によると「この岩の上の窪みの中で蛤の親子化石を拾い…」とありましたので、この辺りのどこかに、窪みがあったみたいです。

    念のため、足元を見渡しましたが、蛤のようなものは見当たりませんでした(笑)

    姫路でおすすめ穴場の神社

    高岳神社の由緒碑によると「当社の宝物に蛤の化石今に伝われり」とありました。

    化石が今も残っているのなら、蛤にまつわる言い伝えは、本当なのかなと、信憑性を感じてしまいます。

    蛤を入れてご祈祷した、高岳神社のお守り袋などがあれば、人気になると思います。

    蛤岩の頂上付近までは、少し登っていく感じなので、軽い登山にも最適です。

    天気の良い日には、金運アップを祈念して、高岳神社に参拝してみてはいかがでしょうか。

  • 首都移転計画が兵庫県加古川市にあった!? 候補地の理由と検討経緯を調べてみた

    首都移転計画が兵庫県加古川市にあった!? 候補地の理由と検討経緯を調べてみた

    明治維新で京都から東京へ遷都して以降、日本ではたびたび首都機能移転の議論があったといいます。

    そのなかで、兵庫県加古川市に首都を移転する計画が、真面目にあったというので、候補地のメリットと検討された経緯を調べてみました。

    首都移転計画が兵庫県加古川に

    国土交通省のホームページに、明治維新による東京遷都の経緯と、その後の第2次世界大戦までの遷都論について、書かれた論文がありました。

    その中に、関東大震災後に首都移転計画の議論があったと書かれています。

    この時期で最も首都移転が意識されたのは1923年(大正12年)9月1日の関東大震災の時であろう。

    国土交通省HP「東京遷都の経緯及びその後の首都機能移転論等」より

    震災により、首都東京を中心とした一帯が、甚大な被害をうけたので、百年に一度の大震災を免れないと言われる東京から、他の都市に首都を移転する議論が高まりました。

    また、当時の日本は、日韓併合(1910年)の後で、領土の拡大で全体として見た場合に、より南西の場所が適当であるという意見がありました。

    陸軍では、関東大震災直後の9月6日に、今村均少佐が武藤信義参謀次長の命令で遷都先についての意見書案を作成している。

    国土交通省HP「東京遷都の経緯及びその後の首都機能移転論等」より

    当時、陸軍の今村少佐が作成した意見書のなかに、兵庫県加古川市が、首都移転の候補地としてあげられています。

    兵庫県に首都移転を計画した今村均

    Hitoshi Imamura

    今村均(いまむらひとし)氏は、宮城県仙台市出身の陸軍大将で、首都移転の意見書を作成したときは、37歳少佐でした。

    戦後、今村大将の陸軍生活について、約60年の自叙を総括してまとめた、回顧録が出版されています。

    そのなかで、首都移転の意見書が提出された経緯と背景について、詳細に書かれていました。

    ※参考:今村均(初版 昭和45年5月)『今村均回顧録』 ㈱芙蓉書房

    首都移転計画の候補地は3カ所

    首都移転するなら

    今村氏は、震災の倒壊をまのがれていた参謀本部の文庫で、1日がかりで歴史、地理、地質等の4、5冊を参考にしながら、文を綴ったといいます。

    そして、候補地に3つの都市をあげています。

    ● 第一は、京城(ソウル)の南、竜山
    ● 次は、播州加古川流域
    ● 万己む得ない場合は、宮城(皇居)と政府機関とを八王子付近に移す

    加古川の理由としては、以下のような記述がありました。

    加古川平地は、歴史上、大きな地震に見舞われていない。

    この川の水は、量も十分質も良い。

    商工地帯を阪神地方に置き、皇居と政府機関と、教育施設だけをここに移し、ワシントンにならい設計する。

    ここの丘陵の起伏は、理想的な防空施設を実行し得る。

    『今村均回顧録』p132より

    今村氏は、十枚ほどにまとめた意見書を、陸軍参謀本部の武藤信義次長に報告します。

    首都移転計画は失敗でどうなった?

    首都移転 候補地

    陸軍参謀本部のこのような動きは、後に八幡和朗の著書『遷都』でも取り上げられています。

    今村氏の意見書は、一旦「それでよし」と浄書きが命じられるも、数日後には各方面から遷都の意見が出るようになり、人身が動揺するなかで、陸軍として遷都の意見を出すのは、見合わせることになります。

    その数日後、「東京は依然として国都としての地位を失わない」という、詔書(天皇が発する公文書)が出されます。

    それ以降、遷都の可能性については、真面目な議論が行われなかったといいます。

    ※参考:八幡和朗(昭和63年8月)『遷都―夢から政策課題へ』中央公論社

    首都移転するなら兵庫県にメリット

    日本 遷都計画

    加古川への遷都論、興味深いですね。

    現在においても、播磨地域が首都移転の適地であることは、いうまでもありません。

    東京への一極集中は、災害や危機管理など、いろいろな意味で、問題があるんだと思います。

    最近では、文化庁が京都に移転する案や、消費者庁が徳島に移転する案など、政府機関が東京から地方に移転する議論がありました。

    播磨地域でも、政府の主要な機能が、移転する議論がでてくると、おもしろいなと思います。