書写山(姫路市)が最強本物のパワースポットな理由【兵庫】二度選ばれた霊地とは

パワースポット

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兵庫県姫路市にある、書写山について、信仰の山となった経緯を、調べてみました。

書写山の山上は、天台宗の寺院が置かれ、霊場めぐりの札所にもなっており、本物のパワースポットとして訪れる人がたくさんいます。

書写山の自然のなかに、最強のパワーを感じて、この場を信仰の場として選んだ、二人の偉人を紹介します。

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書写山は最強本物のパワースポット


書写山は、兵庫県姫路市の北西部にある、標高371mの山です。山の上には、天台宗の寺院があり、国宝級の建物が並んでいます。

明治時代の姫路ガイド『現代語訳 沿革考証 姫路名勝誌』のなかに、書写山について記述がありました。

この場所は、古くから信仰の場であったという、経緯が書いてあったので、書写山の由緒をたどって、まとめてみました。

書写山に神様を祀った吉備真備

『現代語訳 沿革考証 姫路名勝誌』によると、書写山から東に約4㎞の距離にある、広峰神社について、このような記載があります。

この神社は733年(天平5年)3月18日、遣唐留学生の吉備真備が唐から帰国した際に、時の帝であった聖武天皇に奏上して、翌年素盞山の山上に造営したものであるが、それから136年後の清和天皇の御世である869年(貞観11年)の春に至り、王城鎮護のために京都に遷った。現在の衹園神社(八坂神社)がこれである。

『現代語訳 沿革考証 姫路名勝誌』p61より

それによると、遣唐使であった吉備真備が、唐から都へ戻る際に、当時の聖武天皇にお願いして、素盞山(現在の書写山)の山上に、神社をつくったとあります。

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吉備真備像 Wikipediaより

吉備真備(きびのまきび)とは
奈良時代の貴族の偉い人・学者。吉備(現在の岡山)の豪族出身。遣唐使として、多くの学問を学び、入唐中に名声を博した。

吉備真備が書写山に神社をつくって、時が経つこと136年、清和天皇のときに、京都で疫病がはやります。

その時に、書写山にあった神社は、王城鎮護(天皇の都をまもること)のため、京都に移されました。

その移った神社が、日本三大祭りで名高い、祇園祭が行われる、京都の八坂神社であるということです。

書写山に寺院を開いた性空上人

そしてその後もその跡地には同じ神をまつっていたが、それからまた90年余り後、性空上人が同山に円教寺如意輪堂を営んだので、神仏混淆を嫌い、また6年後、すなわち972年(天禄3年)に、当時白幣山といった現在の広峰山に遷されたのである。

『現代語訳 沿革考証 姫路名勝誌』p61より

書写山から京都に、神社が移された後、その跡地では、同じ神様をまつっていました。

それから時が経ち、性空上人(圓教寺をつくった僧侶)が、書写山に寺院を創建することになります。

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性空上人は、神様と仏様がいっしょになるのを嫌ったので、書写山にあった神様の信仰を、となりの白幣山(現在の広峰山)に移しました。

その神社が現在、広峰山の山上にある、広峰神社であるということです。

本物のパワースポット

性空上人像 姫路市HPより

性空上人(しょうくうしょうにん)とは
平安時代中期の天台宗の僧侶。京都生まれ。36歳で出家し修行を重ね、966年、播磨国書写山に圓教寺を創建。享年98歳と伝わる。

書写山は、それ以前は、素戔(そさ)山と称していましたが、性空上人が山を登る途中に、仙人のお告げによって、書写山と改めたといいます。

それが、書写山の名前の由来だということです。

性空上人について「現代語訳 沿革考証 姫路名勝誌」のなかに、このような記述があります。

智慧は深く徳は高く、その名は全国に聞こえ、時の天皇も大変尊敬された。

『現代語訳 沿革考証 姫路名勝誌』p72より

圓教寺は、京都から遠いにもかかわらず、皇族・貴族の信仰があつく、時の天皇や皇后も来臨されています。

西国三十三所観音霊場の巡礼地

書写山は、奈良時代と平安時代の二度にわたって、当時のいわゆる偉人によって、信仰の場所として選ばれています。

書写山の移り変わり

734年 吉備真備が神社を創祀。

869年 神社が京都に移る。その後も同じ神様をまつる。

966年 性空上人が圓教寺を創建。

972年 神様の信仰は広峰山に移る。

周辺には、同じような高さの山が数多くあるなか、いずれの場合にも、この地に神威・霊性を感じて選んだと伝わっています。


性空上人が創建した圓教寺は、今でもなお、西国三十三所観音霊場の巡礼地として、多くの人が訪れます。

書写山は、山上までロープウェイが敷かれており、姫路で人気の観光スポットになっています。

近くに来られた際には、本物の霊地として伝わる書写山に、足を運んでみてはいかがでしょうか。

※八坂神社の創祀については諸説あります。
※本記事は『現代語訳 沿革考証 姫路名勝誌』の内容をもとに作成しました。
※記事中の地図は、© OpenStreetMap contributorsを使用しています。

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