姫路市にとって、6月22日と7月3日は、何の日かご存じでしょうか。姫路空襲があった日です。
姫路空襲とはどんな出来事だったのか、姫路への空襲で姫路城はどうなったのか、被害を記した地図と写真を紹介しながら、姫路空襲についてまとめてみました。
姫路空襲の時間と日にち
姫路空襲とは、1945年6月22日と、7月3日深夜から7月4日未明にかけて、姫路市が受けた2度の大きな空襲のことです。
私たちの姫路は戦時中に計九回の空襲を受けましたが、そのうち昭和二十年六月二十二日の「川西航空」を中心とする昼間爆撃と、同年七月三日の夜から四日にかけての、全市にわたる焼夷弾大空襲によって、五百数十名の犠牲者と、市の大部分がガレキの焼野原になりました。
姫路空襲を語りつぐ会(1973年)『姫路空爆の記録』まえがきより引用
姫路空襲の被害と死者数
この2度の空襲で姫路の市街地は壊滅的な被害を受けました。
空爆を受けた罹災(りさい)人口は56,678人、死没者は490人(慰霊塔側柱の数字による)でした。
>姫路市における戦災の状況(総務省HP)
姫路空襲の被害範囲を記した地図
姫路空襲の被害範囲は、語りつぐ会によって、地図に残されています。
第2次空爆では、姫路市街中心部がほぼ全域にわたって、被害にあっていることが、地図で示されています。
空襲の焼跡から見た姫路城の写真
姫路市街が空爆で壊滅的な被害にあうなかで、姫路城は、1次爆撃、2次爆撃ともに罹災を免れています。
『姫路空爆の記録』のなかでは、未明の空襲から夜が明けた時に、姫路城が無傷であったことに感動をしたエピソードが書かれています。(P157)
戦争を起こさないために私たちができること
深夜にアメリカの飛行機が飛んできて、未明にかけて爆弾を落としまくるって、今では全く想像できません。
しかし、今から74年前には、そんな出来事が、本当に現実に起こってしまいました。
戦争の経緯などについては記述しませんが、将来この先、二度とこのような惨劇が起きないようにするには、どうすればよいのでしょうか。
みんなで集まって、平和を願って空を拝んでみても、何にもなりません。
そこで、一般市民としてできる、最善の行動は、選挙に行くことです。
幅広い知識をもって、国民の安全について合理的に考えることができる人、攻撃をしてくるかもしれない周辺の国々と、うまく交渉できる人に、代表になってもらうことです。
そういった方々に、私たちの安全を付託するほかに、方法はありません。
身近な事も大切ですが、大きな問題を解決できる人を、選挙で選ぶのが、平和への一歩だと思います。
姫路市 平和資料館について
> 姫路空襲を語りつぐ会『姫路空爆の記録』を見てみる
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