
明治から戦前に活躍した姫路出身の偉人、三上参次先生の顕彰会が発足したというので、取り上げて紹介してみたいと思います。
◆歴史学者・三上参次の顕彰会発足 没後80年に合わせ冊子製作(神戸新聞NEXT)2019年1月29日
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三上参次の生まれ
三上先生は慶応元年に生まれ、昭和14年に逝去されています。ということは、慶応元年は1865年なので明治元年の三年前ということです。
慶応、明治、大正、昭和の時代を生きて、第二次世界大戦の前に逝去されたっていうのは、激動の時代だったのでしょうね。
時代背景をたどると、3歳の時に明治維新があり、12歳で西南の役、29歳で日清戦争、39歳で日露戦争、49歳で第一次世界大戦、74歳で逝去ということになります。
すごい時代ですね。私たち平和な世代の感覚からすると、ほんとに激動というか、同世代が戦争で戦ったなんてことが身近にあるなんて考えられませんよね。
生まれたころは電気・ガス・水道がないのは当然ですし、髪型はちょんまげで和服、コンクリートも鉄骨もない江戸時代末です。
産業においても、そこからの近代化ですものね。携帯電話の進化どころではありません。
三上参次と姫路中学
そんな時代を生きた三上先生は、旧制姫路中学(現西高)を経て、農学部を目指し上京。恩師に文学の道を進められ、20歳で東京大学文学部に入学しました。
正岡子規と夏目漱石が2つ年下なので、同じ時代を東京で過ごしていたのかもしれません。まさに、坂の上の雲の世界ですね。お札の顔になってもいいぐらいでしょうか。
24歳で大学院に進み国史の編纂に携わるようになります。当時は国としての正史がなく、国史の編纂は明治政府の課題だったようです。その後、史料編纂事業は三上先生が中心となり進められました。
三上参次の進講と昭和天皇
公職としては東京帝国大学名誉教授、貴族院議員、史学会理事長などを務められ、勲一等旭日大勲章を受章されています。
晩年の三上先生は昭和天皇への御進講も務めます。御進講とは天皇・皇后に講義を行うことで、大正13年から昭和7年の間に延べ24回行われました。三上先生の御進講は昭和天皇の教育に大きな影響を及ぼしたとされます。
めちゃめちゃ偉い人ですね。
文学の夏目漱石が千円札の肖像になったぐらいですから、国史や明治天皇御紀を編纂した三上先生は、一万円札の顔になってもおかしくないぐらいです。
三上参次と姫路
姫路城が国宝に指定された(昭和6年)のも三上先生のおかげ。
旧制姫路高校(現兵庫県立大学環境人間学部のキャンパス)ができたのも三上先生のおかげ 。
これまたすごいですね。そうとう偉い人ですね。
名前を聞いたことがあったけど、功績は詳しく知らなかったです。
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顕彰会(けんしょうかい)が発足
そんな偉い三上先生が、時代とともに忘れ去さられるのはいけません。
顕彰会の方々、微力ながら応援させていただきます。
顕彰会のパンフレットはこちらからダウンロードできます。
>http://www.hakujyokai.jp/pdf/mikami.pdf
現代においても、姫路出身の偉くなった方が、故郷のために尽くしてくれることが増えると、姫路はもっと元気になると思います(笑)
追記 三上参次の手紙
三上先生の手紙が前文に記されている本があります。
>>>『現代語訳 沿革考証 姫路名勝誌』
わが播磨の国には好地誌なし。播磨鑑、播磨志草、播磨名所巡覧図会、などをはじめとし、~中略~、是れ、多くは簡単なる道中案内紀、若しくは好時家の覚え書、ただしは歌枕名寄ともいふべきものにして、まさしく地誌の名を附与し得べきは少し。
前文より引用
播磨の国には良いガイドブックがない。他の国には、それぞれの国を紹介した良い本があるが、姫路にもとりあえず作ってほしい、と著者宛に書かれています。
そして明治32年に発行されたのが、『沿革考証 姫路名勝誌』です。三上先生のお墨付きです。
『現代語訳 沿革考証 姫路名勝誌』は、初版された古書を、現代語で読めるようにした復刻版です。当時の雰囲気を感じながら読むことができます。